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2024年帰国の旅、その2。

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  こんにちは。流行の胃腸炎の魔の手が私にも伸びてきて、絶賛おうちにて療養中です。 この家の中には2種類のタイプがいて、胃腸炎が流行っていると必ずもらうタイプと、そうでないタイプで、私はもちろん前者です。 胃腸炎になると、最初は私の普段のやる気のなさに拍車がかかってただただだるいので、まずは自分を叱咤激励するのですが、それが3日も続くとやっと、これ胃腸炎なんじゃね?と気づくのです。そこからお医者さんにかかって、週末までの病気証明書をもらうのが、いつものパターンです。(病気証明書をもらうとその期間はお仕事に行けない期間となり、それでもお給料の保証があるのが、有給を取らないといけない日本とは大きく違います。) 今回は、普段は胃腸炎をもらわない組の長女が月曜の朝に嘔吐したことから始まったので、そして、私もそういえばここ数日下痢をしていたので(よくあることすぎて、気にならないらしい)、1日ほど早く気づくことができました。 そんな事は置いといて、帰国の感想その2です。 今回1人で帰国して、岐阜の実家でばあちゃんと一緒にテレビを見たり(子供といると、なかなか大人のテレビをまったり見る事はできません)、東京へ1泊で行ったりして印象に残ったのは、日本で住んでいる人の多様性の広がりです。特に、日本以外の国からやってきた人たちが当たり前の存在として、メディアでも取り上げられている印象を強く受けました。私がドイツに移住したのは2011年の末ですが、その時は、日本と言えば日本人と少数の白人しか住んでない、みたいな認識だったと思うから。そういえば、2019年の帰国の時には帰りの名古屋国際空港で、それまで見なかったたくさんの中国人旅行客を見てびっくりしたなぁ。 もう日本では当たり前なのかもしれませんが、スーパーで明らかに日本人じゃないとわかる濃い肌色の人がレジを打っていたり、逆に、見た目や日本語はいわゆる普通の日本人なのに、後でレシートの担当者のところを見たら日本人じゃない名前だったり、地元のJR高山線のローカル線に日本語が母国語でない人が乗っていたり、名古屋方面へ向かう名鉄の駅には、駅名の看板にひらがなだけでなく韓国語も表記してあったり。 それからテレビの特集で、韓国語などを母国語とする人たちが日本で痴呆になったときに「母国語返り」をするので、それに対応できる施設を紹介していました。...

2024年帰国の旅。

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  2週間お休みをもらって日本へ帰国して、ドイツへ戻ってさらに2週間経ちます。そしたらもうすぐ12月だ! というわけで、今回の帰国の感想をさらっと書きます。 今回の帰国は、去年の6月から数えて1年と4ヶ月ぶりでした。前回はコロナの後の4年ぶりの帰国で、ばあちゃんの4年分の老いを受け入れる帰国でした。 今回もそのテーマは変わらなかったのですが、前回からの期間が短かったこともあり、遠出して10年以上ぶりに東京の友達に会ったりしたこともありで、少しリラックスして日本での時間を楽しめました。 それと同時に今回は、日本滞在期間前から、そしてその後もずっと心が日本にあるような帰国でした。前回の日本到着時にあった「2つの異なる風景が私にとって普通であることの違和感」がゼロで、空港から最寄り駅まで向かう電車の中にいて目が日本の風景にすぐになじみました。 前回から利用しているキャセイパシフィックの香港経由便では、日本の南西から太平洋側を飛んで名古屋に着きます。これはコロナ前に利用していたフランクフルトから名古屋への直行便がロシア側から名古屋に向かっていたので、全く逆の航路です。去年の帰国では、ドイツ南西部では見ることのない海と小さな島々という日本らしい風景に感動していたところに、英語の到着アナウンスの「もしここがあなたの故郷なら、お帰りなさい」と言うフレーズが運命的に染みました。今回それがキャセイの英語での到着案内のスタンダードと言うことを知ったのですが、それでもその時は4年ぶりの日本ということもあって、とても感慨深かったです。 困ったことは、家族に「お土産が少ない、どうしてもっと持ってこないのか」とネチネチと何度も責められたことです。岐阜県の田舎という土地柄、それはそれは厳しくて、おばあちゃんには「土産の買い方を知らない」とまで言われました。会社の人が海外に行っても何も買ってこないのがごく当然のドイツに住んでいて、いつもその感覚をすっかり忘れているのです。 それから、親戚や家族とお別れするときに「気をつけて」と言われると、「はい、気をつけます!」とか「おじさんも気をつけてー」みたいな、相手が一瞬、え?と思うような返答をしてしまうことでした。 これは困ったことではないのですが、例えば横浜の、本国がフランスのお店でTシャツを買って、アプリはお持ちですか?と聞かれて、それはフラン...

帰国2024。

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  突然ですが、いま香港にいます。 ヨーロッパ時間で真夜中の香港の朝日、えぐい、、、。それでぐでーっとしてるとすごく態度の悪い人みたいに見られるけど、説明することもできずにツラい、、、。 これからひとりで日本へ帰るのです。私のばあちゃんは97歳で、ばあちゃんが生きてる限りはできる限り会いにいきたいので! 来年は家族みんなでと言ってるけど、すーごく飛行機代が高いので困ってます。でもたまにはみんなで帰りたいし、子供たちも日本へ行くのを楽しみにしてるし、本当は今年行こうねって話してたし(汗 ともかく今回は、家族孝行してきます。 おまけその1、バスルームで見つけた、夫のお母さんがくれた抗菌ティッシュ。前からずっとあったのだけど、よく見たら アンチ・バクテリエンヌ と書いてある! パリジェンヌ、タ◯ラジェンヌ*、バクテリエンヌ、、、。 「そんなの女性名詞の複数形だから、そうなっちゃうに決まってるでしょー!」とフランス語をしゃべる人に言われそうな事は、私もドイツ語をしゃべるので、なんとなく想像がつく。 でもさね、バクテリエンヌがオシャレして日傘なんかさしながら、大勢でパリをるんるん歩いてる様子がよぎったのは、私だけではないでしょう。 * ここのとこ、あえて伏せ字で。田舎のそんなに厳格ではない中学校に通っていた子供時代に、みんなが同じ格好して軍隊のように行進しながら学校の門に入っていく様子をテレビで見てありえんわー!と思って以来、共感することのなかった団体。イジメが大人になっても続いていて管理側もそれを伝統として黙認していたなんて、本当にひどすぎ。そんなの伝統じゃないし。 おまけその2 帰国前日に隣のメキシコ人の家に行ったら、11月1日のカトリックの催しに合わせてデコレーションがしてありました。日本で言うお盆みたいな、帰ってくるご先祖様をお迎えする日。 祭壇みたいなのところにパパとママのおじいちゃんやおばあちゃんやらといった先祖様の写真をずらっと並べて、塩と水とテキーラをお供えしてありました。当日にはパパがその日に特別なパンを手作りします(ドイツに売ってないから)。色とりどりの紙マットも敷いてあって、メキシコらしくて目に楽しい。伝統的に、色とりどりじゃないとダメなんだそうです。

低いハードル、、、。

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 9月23日月曜日の今日のダーリンが最高すぎたので、記念に貼り付けます。↓  糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの 今日のダーリン ・じぶんで名言というのもどうかと思いますけど、昨日のこれは言ってよかった、これからも言いますよ。「低いハードル、たのしいジャンプ」っていうの。ほんとうに、世のとても多くのまちがいはハードルを高くしすぎることだと考えていましたが、つくづく「低いハードル」が大事だなぁと思いました。 ほぼ日刊イトイ新聞 https://www.1101.com/home.html ほぼ日つながりで、 吉本ばななさんのお父さんが、ほぼ日主催の公演で、ほぼ日のことを ほぼイトイ新聞 と呼んでいたと、ばななさんの日記に書いてありました。これまた最高すぎる。 おまけ、どうしてもあんこ餅を食べたいと思っていたところに見つけたこれを買いましたが、全然美味しくなかったし、もちがもちじゃなかった。しかもちっちゃいのが6個入っていて、3.79ユーロもするの! ヨーロッパ在住日本人の悲しみ😢

今年の夏休み2024。

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こんにちは! タイトルからして、いつも通りの日常の記録でしょ、絶対!という感じですが、その通りでーす。新学期が始まって、2週目の今のうちに記録しておきます。 長い夏休みをどう乗り切るかは、大抵の親にとって頭を悩ますところだと思うのですが、うちも例外ではありません。6週間のうち合計2週間はオットの両親が預かってくれるとはいっても!  今回は子供たちが9歳と12歳で、ある程度大きくなったこともあり、「普段よりも子供たちといろんなことをして、普段より多くの一緒の時間を過ごそう」となんとなく思ったので、そうすることにしました。 今年の夏休みは、学年最後の日を終えて家に帰ってきた夕方というちょっとスペシャルな時間に、長女(当時) 12歳4ヶ月の大好きな歌手が、長女が行くはずだった2日後のコンサートをキャンセルしたことから始まった! 長女はショックで部屋にこもって大泣きして寝てしまうし、親としては気持ちがわかりすぎて腹が立つしで、何をできるかを考えて、翌日は電車に乗ってちょっと遠くのナイキショップがあるアウトレットまで連れて行くことにしました。ちょうどナイキの靴を欲しいと言っていたタイミングで、一緒にコンサートへ行くことになっていた友達も来れると言うのでさらに好都合で、有能な秘書のように付き添いに徹することにしました。予定のなかった長女を家に1人にしておけないわと思ってお休みをいただいてまで行ったのですが、それだけの意味はあって、友達も長女も楽しく過ごせていたので、一安心でした。 すがすがしく迎えたその翌日は金曜日で、夕方から次女のスポーツ団体の集まりがあって、普段送り迎えでちょっとだけ話す、ロシア語で話すママたち(ロシアとロシア周辺のいろんな国から来ている)と楽しく盛り上がって、ひどい二日酔いになりました。やっちまったー! その後の1週間、子供たちはオットの両親の家で過ごしたのでうちは静かだったのですが、私はこの二日酔いで体のだるさがずーっと長引いて、寝ても運動してもダメで、辛かったです。年のせいかしら(きっとそう)。 その週にプールまで自転車で行くという初の試みをひとりでしてみて、いざ着いたらもっとこぎたくなって、合計1時間半の自転車ツアーをした。その後プールで泳いだら、今まで冷たいと感じていたプールの水がそれほど気にならないようになり、これまで知らなかった脱衣所と...

デットモールトDetmold へいきました。

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7月末に夏休みが始まってから、もう1ヵ月経つのですね! この夏休みはしょっぱなからいろんなことがあったりしましたが、まずは帰ってきたばかりのデットモールトDetmold の記事をあげたいと思います。 北ドイツのデットモールトと言えば、日本ではドイツの音楽大学がある街としてだけ有名なのではないかと思います。うちの近くの街のトロッシンゲンTrossingenもおんなじです。 ここはうちのオットのお父さんが5歳から35歳位までを過ごした街なのです。当時戦争中だった東ドイツでの生活がきな臭くなってきた頃に、西側に引っ越したということです。 うちから目的地までのちょうど中間にある街ヴュアツブルグ Würzburgで、1泊してから行きました。 泊まったホテルgHotel からの街の眺め。 この町は、2011年に東京のドイツ語学校で同じだったオペラ歌手の方が、その後に1年間声楽を勉強した町なのです。 うちは通り掛かっただけなので観光はしませんでしたが、初日のホテルチェックインまでの時間にかつての50マルク紙幣に描いてあったというレジデンツという宮殿のお庭をホテルの方のおすすめで散歩して、夕方は古い建物がたくさんある市街でご飯を食べようと街の中をぐるりと回り、翌朝は朝食の前に観光スポットの1つである。ドイツで2番目に古い橋alte Brücke までお散歩をしました。 夕ご飯を食べたメキシカンレストランHabanero。内装がメキシコらしくて楽しくて、料理も美味しくて、家族みんなで浮かれまくって、この写真はメキシコ人家族のご近所さんにも送りました。 さて、ここからいきなりデットモールトです。 巨岩群。登れます。 市内の博物館で見つけた瀬戸物。 ヘヤマン記念碑 Hermannsdenkmal。なんでも、2000年前にドイツを手中に収めようとするローマ人を追い返した人だとか(→ほんとかいな)。 野外博物館 Freilichtmuseum では馬車に乗りました、入り口から反対側までの20分間。この博物館はドイツ最大級の野外博物館で、この地域にある古い家が展示してあります。 この観光の間に、オットのお父さんの親戚を訪ねたりしました。オットも高校ぐらいまでは学校の休みの時に、ドイツ語の勉強も兼ねてお父さん側のおじいちゃんとおばあちゃんのところへ来ていたので土地勘はあって、オットの両親とオット...

次女の質問、私が買ったおみやげ。

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  これまでが冷夏で、今週やっと夏が来た感じあるこの街からこんにちは! なんてこと言うと、そうそう、3日だけ夏日な、みたいな返事が返ってくるんですけど(笑) うるう年は寒いっていう言い伝えがあるみたいです。 ある日スーパーの駐車場で、隣の車の中に2匹のポメラニアンがいるのを見つけた次女9歳10ヵ月が、かわいいかわいいと騒いだその後に私に聞いた。「ねぇママ、私と私の旦那さんで犬を飼ってもいい?」 「大人になったら自分で決めていいんだよ、でも犬を可愛がって、その責任も最後までちゃんと果たすんだよ」と言っておいた。それでも心の中では、こんな可愛い質問をするなんて、あとどれくらいのことかしら…なんて、ジーンとしました。 遅くなりましたが、モンサンミシェルで見つけたマグカップ↓ こんなふうにショーケースに置いてあったので、超有名観光地のモンサンミシェルに、なぜ浮世絵が?と思って近づいていったら、こんなんでした↓ これを見たときの衝撃と言ったら!船にへばりついているちょんまげさんが、何人もいるではないですか! 私はマグカップが大好きで、コレクターかっていうくらい家にたくさんあるのでもう買わないようにしてるのですが、そんな私のことを知ってるオットがものすごく、買いなよ、買いなよ、と推してきたので、最後はその推しに負けて買ってしまいました。オットのせいってことで。そして、大変満足しています。 そして先週は、うちのガレージの肥やしになってた小さい子用の自転車と小さい子用の滑り台が、必要な家族に貰われていきました。フェイスブックのコミュニティでやりとりしたものです。 自転車はビール1ケースと、滑り台は牛乳2本との交換で利益とかはほとんどなくて、知り合いにあげたみたいな感覚なのですが、うちでくすぶつてるよりも、必要とする子供達にもらわれていったことが嬉しかったです。 そして先週はもうひとつ、長女に強制的に選択させていた学校での英語で学年によって地理や生物などを英語で習うバイリンガルコースについて。選択しなければ自由時間なのでずーっといやだいやだと言っていた長女が初めて、強制したのを少し感謝するようになってきた旨の発言をしました。相変わらずいやだけどね、とか言いながら。学校で小学校6年生から高校1年生までの5年間に習ってるだけで英語がネイティブと同じ位に使えるようになるっていうこれ...