Posts

ここ4カ月にあったことをざっくりと。

Bild
  気づいたら、あっという間に10月、、、。私のブログに来てくださる皆さん、ブログの更新回数が瀕死の金魚並み(アップアップ?ブログだけに?)ですみません(汗) 相変わらず、自転車操業で元気にやってます。 新学期に入って長女13歳5ヶ月と次女11歳1ヵ月が立て続けに修正テープをなくしていたことがわかって(学校では消せば消える鉛筆じゃなくて、消えないボールペンで書くことがマストらしい。算数の課題とか間違えて当然な教科でもそうらしくて納得いかない)、インターネットで品切れだったのでお店に買いに行ったら、日本のメーカーのを見つけて買ってみたり、 詰め替えもありました 8月頭にはネトフリの佐藤健プロデュースのドラマ(独身の時に音楽フェスに10回以上行ったことがある経験からツッコミどころ満載のオープニングやいろんな場面だったにもかかわらず)に出会って20代だった頃の気持ちを思い出してどハマりして(だって私が大人になった時すでにレジェンドだった永ちゃんとか、同世代のカリスマ窪塚とかもそう言ってたくらいなんだよ!)、今までは名前の読み方も知らなかった佐藤健をリスペクトして、ネトフリで見つけたさとたけの魅力と能力があふれ出ている「るろうに剣心」ファイナルの一作目の完成度の高さに感激したり(ファーストラブは見てたけど、ああいう普通の男性の役のときはその魅力に気が付かなかった)、 それと同じ時期に出てきたネトフリのアメリカ発の韓国音楽アニメ映画がドイツでも大当たりして子供たちがはまっていて、車のラジオでその曲 Golden が流れると家族で大合唱になったり、 新学期から、去年まで習っていた楽器を、長女は自分の意思でバイオリンからクラリネットへ、次女は先生の急な退職のためにホルンから(もともと興味を持っていた)トランペットに変えることになって、それが上手くいっていまは少し落ち着いていたり、 関西弁CA・リュークルーRyucrewさんの帰国の回がいちいちわかりすぎるー!とか(焦ってるりゅーさんめっちゃおもしろい) → https://m.youtube.com/watch?v=8dCOXfYf8mw ジムでマシンでトレーニングすることを始めてみたら、足首から下が腱鞘炎のようになって2週間ぐらい足が腫れてしまって(詳しくはわからんけどたぶん、毎回1分以上待たずに連続して鍛え続けたのが原...

鎌倉、そのあとミュンヘン。

Bild
 6月の学校のお休みに、家族4人で日本へ行ってきました!そして、2週間過ごした日本を金曜日の夕方に出発して土曜日の朝にチューリッヒに着いて、その次の金曜日にミュンヘンでの反田恭平さんのコンサートがあって、それなら行くしかあるまい!と行ってきました。 その結果、びっくりするほど疲れてしまって、やっとあと少しで回復か?というところです。と、歳のせいかなと思っていたら、会社の若い子が、2週間も観光したらそりゃ疲れますよね、って言ってくれて、歳のせいだけじゃないことがわかった! ミュンヘンから帰ってからはいろんな気力がなくて、食欲は無いし、庭の雑草も日本へ行った時から生え放題だけど、まずは回復することを優先していました。 だから日本旅行記を書きたくても、回復優先!とかいいつつ、後回しになってるんですねー。 それでも、初めて家族4人で行った日本と反田恭平さんのコンサートには後悔がまったくないし、どちらもまた行こうと思ってます。 日本でのいちばんの思い出は、2泊した鎌倉で、次女10歳と9ヶ月との一緒に海で毎朝泳いだこと!朝起きて海を見ていたらサーフボードを持って自転車で海に向かうサーファーをみかけて、ダメ元で泳ぎに行ってみようと海へ向かったのです。そしたら海の水はそれほど冷たくなくて、次女とキャーキャーいっているうちに、波をざぶんとかぶって頭から濡れてしまったのをきっかけに泳ぎ始めました。曇りで波が高くて、波に飲まれないようにしないと、と気が引き締まるほどでした。3日目の朝はほとんど波はなくて温度は2日目とそれほど変わらなかったので、すっと海へ入っていきました。この両極端な海の顔も、海なし県出身の私にはいい思い出になりました。 写真は、泊まったお家の窓からの景色。写真の中央奥に鎌倉のビーチが見えます。ここにたくさんのサーファーがいた!これは3日目の朝で、晴れて波がほとんどないくらいでした。 ウェットスーツを着たサーファーと水着の私たちのほかに泳いでる人なんてもちろんいなくて、よくある「あの人、こんなに寒いのに泳いでるよ」ってやつになっちまったー!とか思いましたとも。でもね、水は泳げるくらいには暖かくて、真夏の海ほどぬるくない、快適な温度で、海で泳ぐのって実はこの気温がいちばん快適なのでは?と、新しく発見した気持ちでいます。 ドイツへ帰った翌週末の、ミュンヘンでのコンサー...

夏時間と更年期がやってきました。

Bild
  いまゴルチエの香水のCMで使われている音楽のリミックスのもとは、かの有名なモーツァルトのレクイエムのラクリモーザだ!なんで私がそれをすぐにわかるかというと、去年のコーラスで歌ったからだ!、、、、、、うちから歩いて3分の教会で練習してるからという理由で選んで始めたコーラスで歌っていると、こういうこともあります。どの曲かがわからないことも多いけど、今回はあまりにも特徴的すぎるメロディーなのと、歌い出しが🎶らーーーあくりもーーざーー🎵なので、さすがにわかりました。 実は今週末は今回のプロジェクトのコンサートでオーケストラとの共演なんですが、曲目が一般受けしないものなので、チケットが10%ぐらいしか売れてなくて、どうなることやらって感じです。ブラームスやモーツァルトのレクイエムの時は、ほぼ完売していましたけどね。私は歌のボランティアとして参加してるだけなので気楽なもんです、大きな声では言えませんが。演目が書いてあるフライヤーを載せときますね。 さて、今回の内容ですが、スピ好きな私が50歳を目前にして変化する心と体の観察の記録、になります。興味のない方は、また次回の更新までお待ちいただいたほうがいいかもしれません。 ヨーロッパは3月最後の日曜日から毎年恒例の夏時間になりまして、春がきましたねー☘️🌼 そして私にはついに、更年期がやってきました。あと数年で50だもの、そりゃそうよね。 なんで自覚したかというと、これまではわりと規則的だったレディースデーが、3月に3回もきたから。 それと並行して興味深いことがいくつかあって、今回はその記録です。 20年位前、私がまだ20代だった頃に、みんなで一緒に音楽フェスに行ったりする男の友達のうちのひとりが「君が大切に守っているものは、そんなに大事なものじゃない」と突然私に言ってきて、それが何かわからないなりにも瞬時に怒りが沸騰したことがあります。だからその時は、私が大切に守っているものって何?と聞く余裕なんて全然なかったし、それが何かは今までもわからなかった。 同じ20代の時に、海と写真への興味が縁で仲の良い女の友達には「ジブリのカントリーロード(♪淋しさ押し込めて強い自分を保っていたー♪)を聞いて、みほみほのことを想ったんだよね」と言われたことも。 中学校の卒業アルバムでは「外国人と結婚しそうな人ナンバーワン」に選ばれた...

畠山美由紀「わが美しき故郷よ」によせて ー遅ればせながらー

Bild
今年の3月11日は、次女10歳6ヶ月のホルンの修理の予約で、車でボーデン湖 Bodensee 方面へ1時間ほど離れた小さな街へ行った。 そこで おじいちゃんが社長の修理会社 に修理をお願いして待っている1時間の間に、一緒に行った、次女のホルンの先生であり私の友達でもあるアナが連絡を取ってくれた、 ジンゲン Singen のトップレベルのアマチュアオケ でホルンを吹いているさやかさんと3人で、お茶をしながらノンストップトーキングの1時間を過ごした。 このさやかさんとアナとのおしゃべりと、情熱を持って毎日楽器修理に携わっている、信頼できる小さな家族経営の修理会社を訪ねたことで、火曜日にお休みをいただいてまで行ったことが完全に報われた。 3月12日は水曜日でお休みだったので、最近ハマっているRyucrew のYouTubeで、アップデートされたばかりの 震災遺構を訪ねるビデオ を見て(震災遺構と言う単語もここで初めて知りました)、3月11日が震災から14年だったことに、ここで初めて気づく。 それで「花は咲く」を思い出して、それに参加したみゆきさんのアルバム( ここから Spotifyのリンクへ飛びます)を聴いてみた。 ↓「花は咲く」のビクターのリンク。みゆきさんは21秒目に出てきます。なんでダイジェストしかないの⁈  https://m.youtube.com/watch?v=_RwTct8K2JM 畠山美由紀さんは私が大好きな歌手の1人で、声がいいのや歌がうまいのはもちろん、とってもお茶目なところもあります。とあるフェスティバルのステージで「私の声は悲しい曲のほうがよく活きる事は充分知ってる、でも、フェスだから楽しい曲歌わせて!」と言いながらラテンのリズミカルな楽しい曲を歌い始めた時もありました笑 そのみゆきさんのアルバムの中の朗読で、涙腺のちょう硬い私の目から涙が出てきて、この涙がどこから来るのかが、自分でも意外だった。それで、震災の記憶が自分の中に生きていることを知った。 ドイツに住んでいるから、私の周りにいる人たちにとって震災は遠い外国での出来事だけど、私はそれを当時住んでいた横浜で経験した。だから、家や家族や友達がなくなってしまったとか、そういうレベルの経験はない。それでもその後も、震災や原発の事はいつも頭の中にあった。被災者の人たちを何年も仮設住宅に住まわせる...

今日の夕ご飯。

Bild
  もう3月! 最近、飯炊きに苦戦しています。 あまりにも子供たちが食べたがらないことが多い気がするので、自分を責めて行き詰まって泣きながらオットに相談したりして。その時は自分でも、そこまでストレスになってる事がびっくりでしたけどね。でもそれがわかったら、少しスッキリして楽にかまえられるようになりました。 でも今晩は偶然が重なって奇跡のようにうまくいったので、記念に献立を記します! 1️⃣ブロッコリーとじゃがいものスープ←調理器Thermomix を使って、レシピはThermomixのではなくて適当に作ったもの。これまで何回かThermomixのレシピで作って失敗していたから。 2️⃣固くてもう切れなくなったパンで作ったクルトン←パンを大きなパン切り包丁で1センチ四方くらいに小さく切って、オリーブオイルをまぶしてオーブンで焼いたもの。 3️⃣トマトとキュウリのサラダ←レタスを食べたかった長女12歳と10ヵ月が作った。 このコンビネーションが奇跡的に大ヒットホームランで、お肉もないのにみんなよく食べて大満足でした。 料理が好きじゃないし得意でもないので、毎日の飯炊きが拷問か罰ゲームのような気もしなくはない時もたくさんありますが、家族の健康を引き受けるのは、台所に立つお母さんの役目。引き続きがんばろう。 そんなこんなしていたけど、カーニバルでした。 今年は娘たちも旦那も行列に参加したので私は送り迎えをする必要がなくて、うっかりすべての行列を見過ごしてしまいました。この写真は、行列の日じゃない時に行われたうちの団体だけの行列です。本当の行列では、両側に仮装した観客がずらっと並んでいます。

カーニバルのパーティーBall がありました。

Bild
こんにちはー。 だらだらしてたら、もう2月になってたよ! いや、先週は胃腸炎で、またおうちで養生してました。病気の証明書を書いてくれたかかりつけのお医者さんに聞いたら、前回は11月ですって! ウイルスが悪さをすると私は必ずもらってしまうから、税理士事務所としては最高レベルに社員に寄り添ってくれる社長夫妻とはいえ、ちょっと評価がきになるところでもあります。が、これまで通り最善を尽くします🫡 そんな週の土曜日は、私たちが所属するカーニバル団体のパーティBall でした。ほとんどすべてをプロではない普通の人が作り上げる、お芝居あり歌あり踊りありの舞台で、毎年カーニバルのひと月ほど前の週末にあります。今年は、オットと子供達がダンスで参加しました。 南西ドイツは州が公に「標準ドイツ語以外なら何でもできます。」“ Alles außer Hochdeutsch .“と言っているように、うちの町もすごい方言があります。とはいえ、日常生活に困ることはあんまりないのですが、カーニバルは地域の伝統文化なのでパーティでも方言を全面に押し出していて、北ドイツ出身のオットのお父さんでも理解できない時があると言ってました。子供達はまぁ、ここで生まれて育っているのでまぁまぁ理解しているみたいです。 始まりは、幹部の行進と挨拶から。うちの団体は猫の音楽隊 Katzenmusik なので、猫の人もいます。掛け声はもちろん、ミャオー!🐈 踊りのグループは、子供達、ガールズ、女性、男性、の、全部で4つ。 毎度、お馴染みの音楽コメディーグループ。街の政治なんかの地元ネタも多いが、ファンも多い。 1925年というのは、100年前にタイムスリップするというテーマにちなんだ背景です。 プロに頼んでいる照明もとってもきれいでした。 お芝居中に私の座ったところから撮った写真。私と一緒に行った友達たちがテーマフランス人で仮装してきたので、小物のフランスの旗が見えますますね。 私のお向さんのフランス人たち(汗 フィナーレ。 パーティーは金曜日と土曜日の2日間開催されるのですが、これは2日目なのでみんないい顔してます。 カーニバルには寒くて暗くて長い冬を追い払って春を迎えると言う意味もあるのですが、このパーティーやカーニバルに向けて冬の間に準備することそのものが、冬でも地元の人と協力しながら1つの目標に向かって何かを...

クリスマスでした。

Bild
こんにちは! みなさん、いかがお過ごしですか? こちらは無事にクリスマス期間を終えて、ほっと一息ついてるところです。 いつものことながら日本人の私にとっては、家族で過ごすクリスマスが日本の年末年始、友達とパーティしながら迎える新年が日本のクリスマス、なので、半分年越しちゃった感があります。 うちのいつも定位置のクリスマスツリー🎄 (毎年常夜灯がわり) まちなかにもツリーが何本も飾られますが、どこも1月の頭までは飾ってあります。 クリスマスは、毎年オットの実家で過ごします。 イブの24日の午後、アルザス名物のブレーデレでお茶タイム。 うちは大人同士のプレゼントはマストではありませんが、今回はオットのお母さんから、日本の文庫本をもらいました!ストラスブールのリブレリ・クレベアのインターナショナル支店で買えたそうです。 25日は予定がなかったので、コルマールのクリスマスマーケットへ行きました。 長女12歳と7ヶ月/中1が、今月フランス語のクラスでコルマールのクリスマスマーケット訪れていて、私も行きたくなって、みんなでいくことにしたのです。 12月25日といえばクリスマスの第1日目で、日本でいうと元旦で、フランスやドイツでは家で家族と過ごす日と決まっているのですが、すごく混んでいました。この地域に観光に来た、主にドイツやイタリアといった、フランス以外から来た観光客がお客さんの半分くらいだったようです。なので、行きの道路が渋滞していたし、現場はけっこうカオスでした。 自由の女神を設計したフランス人はコルマール出身だったので、ラウンドアバウトにこんな像が立っています。その足元には、記念撮影する人々も見えますね。 長女が遠足では乗れなかった観覧車に乗ったり。(だってひとり10ユーロもするんだよ!) クリスマス2日目は、これも毎年恒例の、オットの友達フランソワの実家にお呼ばれ。 フランソワのお母さんルロンスLaurence の料理は相変わらずすてきだったので、別記事で載せます。 その翌日はまず、夫が上司に頼まれたフォワグラを調達しに、ストラスブール近郊の小さな街へ。 ちょっと見えにくいですが、そのまちIchiratzheim (たぶん)の入り口にあったクリスマスのウェルカムの飾り。 フォワグラは予想通り、ひとかたまりがびっくりするほど高かったですが、大晦日のパーティに毎年呼んでく...