ありがとう、チバユウスケ。

 


2023年の紅白で10-FEET という、2011年末にドイツへやってきた私が知らないバンドが彼の名を叫んでくれたことで、彼が他界していたことを、体調が悪くて友人宅での年越しパーティを休んでベッドにいた大晦日、ドイツ時間の23:30に知った。ショックだった。


ミッシェルが活動していた当時はYouTubeなんて今ほどなくて音楽雑誌を読むだけだったから、ミッシェルはクールなバンドだと思っていた。


2000年頃にBLANKEY JET CITYが解散してからベンジーの追っかけをしていた私は、もちろんミッシェルのチバユウスケのことをかっこいいと思っていたし、ベンジーの曲ほどでは無いにしろ、よく聴いていたアーティストだった。

バンドに興味がない人から見たら、同じ時期に出てきた2つの同じようなバンドと言う認識だったかもしれないが、その方向性は似ていてもそれぞれ独自のものであり、でも競い合うのではなくて、それぞれに自分の音楽を表現していただけだった。お互いにかっこいいと思っていたという趣旨の記事を読んだ記憶もある。

当時のロッキンオンの読者から読者へのの伝言欄に「チバユウスケにおかされたいと言い続けていたら家出してしまったXX君、帰ってきてください。」というのがあって、「冗談で、それともチバがかっこよすぎて投稿したのかもしれないけど、あんだけチバがかっこよかったらぜんぶいろいろ仕方ないわな」と思って忘れられなかった。


2011年末にドイツへ来てから最近まで、新しい環境に慣れたり子供2人を産んで育てたりで自分の時間がなかったけど、ここ数年やっと自分の時間が持てるようになった。その間に日本から発信される動画がたくさんYouTubeで見られるようになっていて、日本ではあたりまえに目や耳にするドラマや音楽から遮断された環境にいた私は、喜んでたくさん見た。

ミッシェルの2000年頃の、東京での野外ライブ映像を見た時は、メンバーが出てくる時からメンチ切りまくってて、こんな態度のバンドやったんか!と驚くとともに、演奏とパフォーマンスがやっぱりかっこよすぎてぶっ飛んだ。観客もクレイジーで、あまりにも観客の興奮が凄すぎて押し潰されて死んじゃう人が出そうになったから、フェス運営の大人たちがステージに上がってきて(ふだんそんなこと絶対ない)、このままだと中止せざるをえませんって言った位で、そこでチバが言ったのが「せっかくだから、周りに困ってる人がいたら、助けてあげようぜ」、みたいな言葉で、こんなにクレイジーなライブをする人たちだとは、当時、音楽雑誌だけを見ていた時は想像できなかった。

私が見たビデオの中には、チバのインタビューもたくさんあった。

私がドイツの生活になじみながら子育てしてる間に10年ぐらい経ったのだけど、その間日本のテレビとかほとんど見る機会がなくて、その10年の間に、私が知っていたたくさんの芸能人が一回り太ったり、髪の毛が後退したり薄くなったり、シワが増えたりで、おじさんやおばさんやおじいちゃんやおばあちゃんになってしまった。私だって10歳をとっているから、他の人のことは言えたことではない。

でも、チバは違った。歳をとったなりに、相変わらずカッコイイのである。

しかも「こないだどこどこで誰誰と酒飲んで、朝起きたら、財布も携帯もなくてー、、、」、なんて相変わらずロックなのである。

そして、死に方までロックだった。病気を公開してから6ヶ月という速さで天国に行ってしまった。


チバの声が懐かしくて、それ以来、バースデイの曲とか新しいものをSpotifyで聞いてるけど、相変わらずかっこいい。相変わらず曲も歌詞もぐさぐさ刺さってくる。「息もできない」では、その男くささに苦しくなった。心の恋人だった。


私はチバユウスケが大好きだ。まだ彼の死を受け入れられないし、追悼なんてできないかもしれないけど、これからも彼の曲を聴いていくいこう。










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